22日は長春観光してきた。
まず溥儀の邸宅へ。
今は博物館になってて、中国語では伪满皇宫博物院。

溥儀は2歳10ヶ月で西太后に清朝12代皇帝に指名された。
でも1911年の辛亥革命で退位。その後復位するも10日あまりでまた退位。
1924年に紫禁城から追放され、天津の日本租界に移った。
それから1931年9月18日に満州事変(柳条湖事件)勃発。
満州一帯はあっという間に関東軍の支配下に。
満州を君主制国家として成立させるために、溥儀を執政に。
34年に執政から皇帝になるも権力はないまま。
37年に盧溝橋事件が勃発し、日中戦争へ。
45年8月15日に日本が降伏後、溥儀は日本へ渡ろうとしていた時にソ連に捕まり、強制収容所へ。
その後中国へ身柄を移され、撫順の政治犯収容所へ。
約10年かけて再教育され、59年に一市民へ。
2つの国で2度皇帝になったのは世界史史上溥儀だけ。
まず入ってすぐに乗馬できるところが。

馬も寒い中ご苦労様です。
中に進んでいくとまず、宮内府。
ここは役所の役割を果たしたところ。
建前上溥儀が皇帝だけど、本当は日本人が権力を握ってた。
だから傀儡政権。
ここでは若者を集めて、勉強させて、清王朝復活を図ってた。

溥儀が乗ってた車。

日本人と接見するときに使った、日本間。

寝室の横に仏堂。
神仏信奉っていう清朝歴代皇帝の伝統らしい。

わざわざ寝室の横に作るくらいだから、溥儀の清朝復活への想いは凄まじい。
日本史でも習う重要な出来事。
日満議定書調印したところ。

これで満州国が日本に承認された。
その他には溥儀の一生を紹介してたり、溥儀が集めてた昔の絵画とかの展示。
ここは日中戦争中に溥儀とかが避難した防空壕。

中に部屋が何個かあって、厳重な鉄のドアがあった。
邸宅を出てすぐのところに抗日の様子がわかる資料館。

ここは日本がした残虐行為のことより、それに対抗した義勇軍の紹介のほうが多かった気が。
その後、満州国の国務院があったところへ。

今は吉林大学の医学部が使ってるらしい。
それ以外に見つけられず、人民広場へ。
大連も瀋陽も人民広場あるけど、大体の建物が満州国に関する建物だったから、長春でも行ってみた。

けど、碑があったのはこの電信会社のだけ。
今は中国聯通が使ってた。
あと、共産党の建物があって、関係ありそうだったけど、本格的な警備員がいて写真撮れず…。
共産党やし、今後のこと考えて下手なことはできんな。
思ったより見つけられんくてしょんぼりしながらホテルへ。
途中ですごいの見つけた。

最初、名創かと思ったら、名創のパクリ!
名創もダイソーとかユニクロとか無印を足したようなのに。
しかも、商品もなかなか面白かった。

プーさんとリラックマとドラえもん…?
あとはウォルマートで食料買い込んだ。
冷凍うどんもあったから、北京帰ったら買いに行こ。(本当はそば食べたい←)
で就寝。
ラストエンペラー見てから溥儀の邸宅行ったからすごく興味深かった。
邸宅内には花壇があるみたいだけど、雪のせいで、よくわからず。
他に公園とかも花が咲いたら綺麗らしい。
見たかった~。
これはまた来るしかない。(笑)
北京以上に痰吐く人多いし、チェーン店あんまりなかったけど、長春も楽しかった。

再见长春!